究極の選択
とある、2021年の春先、
その頃、私は車が無かった。
ある理由から、田舎暮らしなのに、車が時々しかなくて、
時々車を借りて、それで、なんとかやっていけてたけど、
不便を感じていたし、
それに何より、
私は元々、車が好きなので、
頭の中で、
「いつか、この車乗ろうかなぁ…、
これのが、いいかなぁ…、これもいいなぁ…」等、
ずーーーっと、思い描いていました。
何年も。
中々、買えなくてね、
その頃も、節約生活に突入していました。(昨年程ではなかったけど…)
そんなある日、私に車を買ってくれると言う人が来ました。
突然、部屋に。
喉から手が出るほど、移動手段に困っていた私は、(本当に田舎です)
その話しを聞いてみると、
『私が欲しいと思っていた車種とは、
全く違う、雲泥の差のある物を、
しかも、一切、私に車種は選べなくて、
勝手に中古の軽の何かを、ボーン…とくれると言うのです』
ええ?!そんな事あるの?!
と、思われるかもしれませんが、
これが、本当に私に起きた現実です。
ずーーと、「車ほしいなぁ。。。」と、
我慢しつつ、願っているところに、現れたこの現実。
皆様なら、移動手段に困ってるなら、
とりあえずくれるって話しだし、・・・って、
「うん」とか、「ありがとう」とか、
言いますか?
私、久しぶりにこの時、
絶句するほど、その場で悩みました。
「どうする?」と何度も聞かれるけど、
答えが出て来ない…
ただ、『嫌な感じだけが、ひたすらする』のです。
『私の、欲しい物(車)のはずなのに』
その場で少しの時間、深く悩みましたが、断りました。
その時は、「考える」と言ったかもしれません。
その後しつこかったので、「いらない」と言った気もします。
この時の選択は、
Aは、
移動手段であるなら、もう何でもいいから、ただでこの人が勝手に選んだ、
ボロボロの物でも、もらって乗る。
という選択と、
Bは、
以前から車を持つなら「これがいいな」「こうしたいな」という望みは、はっきりとあったのだから、
この機会は見送るけれども、
「いつかは、自分の望む車に乗る」
(その為の今の我慢はする)
という、2つのものでした。
こうやって、今、簡素化してAとBの選択を並べると、
Bのがいいよね、って客観視が、
簡単に出来る気がしますが、
私には、もう何年も移動手段が無く、その為
私の行動は制限されていましたし、
以前にも、このブログで、酷い喘息通院の事を書きましたが、
その為、無職にもなっていて、
車を購入出来る目処は、全く立っていないに等しいものでした。
「一体、いつ、私は
自身の車が買えるのだろう・・・」
そう、何年も思っていた所です、それが起きたのは…。
これって、
「有り難くいただきます」って言っても、
いい状態の時ですよね。
だけど、自分の気持ちに正直になったら、
「要ります。感謝です。」
とは、言えなかった。
それから、去年、何度も言いますけど、
更なる節約生活と一人暮らしに突入した私は、
またまた、以前ほどではないですが、
そこそこ交通機関の無い所に、
引っ越して来ていましたので、
仕事を探すのも、一苦労も二苦労も多かったです。
歩いて、1時間とかの移動手段しか無い・・・ガクリ…。とかね、
交通機関を使って、片道1時間半、ええー?!とかね、
この辺りは、そもそも車を持ってないと、
生活が不便な地域なんです。
だから、その時、
『その車の話しを断っていた私』は、
その後、
『いっぱい歩く日々』を、送ることになりました。
要は、断ると、その後、
『いっぱい歩く』という、オプションが付いて来る、という、
私の人生設計の、ブループリントだったみたいで…
(それは、『選んでみないとわからない未来』です。)
まぁ、今は無事に乗り越えて、
昨年、
「今年一年、いっぱい歩いて、
めっちゃ健康に良かったみたい、
体力に少し自信。」
って言う、
そんな私になりました。
新しく通ってた職場も、歩いて行ってましたし、
わんこの病院(往復約1時間の徒歩)や、ATM、コンビニ、薬局全て歩いて、
あとは、バス乗ったり、バス乗ってから電車乗ったり、交通機関をフル活用。
何せ節約生活で、「ヘイ!タクシー!」と言うわけにもいかなかった。
それで、結局、そんな時に、
何度も、あの時のシーンを、
思い浮かべることになったわけです。
車が無くて、困ったなぁ・・・という時も
本当に多かったので。
「あの時、オンボロの訳のわからない車種の軽の中古車でも、
いただきます。って、言うべきだったのだろうか…」
と、
もう過ぎ去った過去なのに、その時の決断は、
合っていたのか、いなかったのか、
まだ、
答え合わせをしていたのですね。。。
最終的に、私に出た答えは、
『あの時、受け取らなくて良かった』
そういう答えです。
たぶん、恐らくですが、
(人生は、Bという選択をした以上、Aを選び直すなどという事は
出来ない事は多々あります)
あの時、Aを選んでいたら、
私は、
『ほんとうに望む車に、
辿り着いた喜びが、
半減以上に激減していた事は間違いないのです。』
更には、
『望んでいなかったAという車を、その時貰っていたら、
ずっと、「はぁ〜…」と、
ため息を、心の何処かでつきながら、
その車に、有り難がって、乗っていなければならないような
自分を選んでいた。』
しばらく、その車に乗る度に、
心の中で「はぁ〜…」と、
私は、何度ため息をついたのでしょうね、
昨年一年間。
だったら、元気に歩いていた方がきっと、
うんと、
自分の為には、なったと思うのです。
歩いていたからこそ出来た、
面白体験もありましたし、
歩きながら、お散歩が、前以上に好きになって、
喘息で歩くこともままならなかった日々は、
もう無くて、
沢山歩くことに、慣れることが出来て 笑
『神様はあの時、観ていたのかもしれない』
「過去の君なら、もしかしたらAを選んじゃうかもしれない、
だが、今の君がBを選ぶなら、
この『課題はもう君はクリア』だよ。」
私の今は、
『全てに、感謝しかないような毎日です』。。。