自分を大事にするということ

幸せについて

恩恵の享受

自分を大事にすると、どんなことになるかと言うと

「幸せになれます」。。。

 

簡単なことで、シンプルなようなことです。

当たり前に感じるかもしれませんが、心の底からの幸せを感じるということです。

 

私は実は、幼少の頃からは、自分を大事にするということについて、

多く習えませんでした。

 

厳しく冷たく不自由な環境の中で、痛く悲しい思いが多かったからです。

ですが、

そのお蔭で、「自分を大事にしなければいけない」

そう、強く思うようになったのです。

 

これは、誰にでも当てはまる事ではないのですが、

 

自分を大事にすることは、時に『妥協しないこと』でもあり、

時に、自ら、少々厳しさに耐えることでもあります。

 

「自分を大事にするのに、厳しさに耐えるの?」と

思われるかもしれませんが、

 

「自分をただ甘やかすこと」と「自分を大事にすること」の違いがあります。

この、自分をただ甘やかすだけのことでは、残念ながら、

あなたの求める幸せには、辿り着けないと思います…

 

何故なら、時には自分を甘やかすことは大いに、大事なことではあるのですが、

それが、身の破滅になる場合も、あるからです。

 

先日、「幸せの定義は人それぞれだから」というお話しをしていましたが、

少し真逆の言い方になり、人によっては、わかりづらいかもしれませんが、

多くの「人間(人)にとっての幸せ」という点においては、

皆に共通している、『幸せの定義』は、存在しています。

 

わかりやすく例えるなら、わんこにとって、好きなおもちゃで遊ぶことがわんこの幸せに共通しているのと同じように、

人、人間にとって、「〜をすることが幸せ」

というのが、あります。

 

もっとわかりやすく言えば、例えば、美味しいものを食べられることは幸せ、ですが、

闇雲に、美味しい物ばかりを無尽蔵に食べ続けていれば、体によくありません、

あまり美味しくなくても、良薬口に苦し、の諺のように、

美味しいばかりではない物を食べることによって、体力の回復という

又別の、自分にとっての良いことが待っています。

 

誰もが、孤独になるくらいなら、

誰かと一緒に居たいと、思うかもしれません・・・また逆に、

 

不快で無意味な関係を続けるよりは、

一人の方がいいということも、あるでしょう・・・

 

その時の時と場合による事もありますが、(今日は独りではいたくない、とかですね)

 

あなたを傷つけ、粗末に扱う人間とは、

長く一緒にいるべきではありません。

 

それが、「自分のことを大切にする」という

心に栄養や、癒し、微睡む時間や、安心を携えた、『人生を送る』

ということです。

 

我慢は、自分の甘やかしすぎは我慢しよう…くらいで

大丈夫です。

 

人生は、そんなに長くはありません

幸せな時なら、

ずっとそんな人生を生きていたいでしょう。。。

 

少し前に、私の「苦境な環境から飛び越えた話し」をしていましたが、

もし、私があのまま、そのままの環境の中で、

心ではずっと泣きながら、もう既に感覚は慣れっことして、

頭の中で「それでも感謝だから・・・」と、我慢し、

延々、その環境で暮らし続けて居たら、

 

『今の幸せは、全くありません』

 

以前の環境の中で暮らして居た私は、こんなことを言ってはなんなのですが、

北朝鮮の方と比べたら、平和な日本という国に生まれて、ただそれだけでも幸せなこと、

と言えると思います。

ですが、

私のことを、『多大に愛している人から見たら』

「早くその環境から、脱け出しなさい。」

と、言われるのが当然でした。

 

よってたかって意味も理由もなく、大勢から、一人のいじめられている子が居て、

その子に、「日本に生まれているだけで感謝だよ」なんて、言えません。

 

あなたなら、その苦しんでいるいじめられている子に、何と言うのでしょう。

もし、直接関与出来なかったとして・・・

 

少し極端な例を上げましたが、

 

私は、その環境から脱け出して、

(これには、いつも言っているように、『神様からの手助け』が、ありました。)

 

たくさんの、

 

『幸せに繋がること』

を、見つけました。

 

これは、『自然に繋がって、見つけられるように、できているのです』

 

そう、これが、人として生まれたが故の

 

『自然に神に与えられた恩恵の享受』

 

ということなのです。

 

 

 

※この内容に関連する話しについては、また詳しく書いて行きます。

 

 

 

 

 

 

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