神様はサバイバルがお好き?・・・
人生の転機に起こる事柄について、少しずつお話ししていました、(人生の転機1)
あと、神様は時々スパルタなこととか、(神様の不思議)
私は、昨年10月に、今の所に移り住んで限界の節約生活に突入したこと。
更に、偶然の導きで、また来月お引っ越しになったこと。
もし、今「転機かな?」と思っておられる方の少しの参考になって、
一助になれたら、と思います。
私の場合は、最初に大波が現れて、
必死にもがいて掻い潜って、荒波に揉まれつつ、アップアップしながらも 笑
なんとか切り抜けた感じになり、
そして、今年を迎えていました。
昨年一年は、更に中波、小波もあって・・・七転八倒だったかも 笑
そして、
昨年の11月頃は、年が無事元気で越せるかも、心配してまして 笑
ですが、神様のご褒美もあって、無事に過ごせています。
人生には、『怒涛の日々』というのがありますが、
それでなければ、ならない『理由』があると、私は思うのです。
要は、その人にとって、ギリギリのラインで乗り越えられるように、
なっている気がします。
これは、恐らく、『ギリギリでなければ意味がない』のでしょう。。。
簡単にスイスイと行く、ゲームは2度としないでしょうからね…
簡単に攻略出来たゲームを、「面白いから」って、人は何度もやりません。
でも、人は自身に襲って来る災難は、本当にしんどいものです。(当たり前ですが)
私も「死ぬところだった…」って、ありますし、
「死にたい」とかも、もちろんありました。
生き地獄なんて、もっと恐ろしい…とかも、思ったりしますね。
人には、その時その時の、それぞれの『課題』があると思います。
これって、「そんなのあるの?」って思う人は少ないんじゃないかな・・・
だから、皆んな、神様信じる信じないとかにかかわらず、
どっかで思ってるんだよね、きっと
思考の脳に伝わる伝わらない、
その考えを咀嚼したしないに、かかわらず、
どこかで、「またこの『課題だ』…」って
気づいてる。
冷静になって語ったり、成長できた、勉強になったなんて思えるのは、
心の『苦しみと葛藤』を「乗り越えた後」で、
それまでは、号泣したり、怒ってみたり、
絶望して布団にくるまるしかなかったりw、
必死になったり、
色々ですよね。。。
でも、意外となんとかなって、
新しい場面をまた、少し成長した自分が見ている。
そんな時は、『喜び』も一緒に。
だけど、まだ不安や怖さもありますよね…、
私に開いた、また『新しい扉』だって、
多分というか、いえ絶対、
昨年、引っ越す前の生活より、
うんと、『Happy』で『素晴らしいこと』なのですが、
なんか、変化って自分自身では
「漠然とした不安」みたいなものが、
あったりします
これって仕方のないことなのかな。。。皆さんはどうですかね・・・
昨年、引っ越す前の私の生活は、
はたから見たら、『安定した生活』に見えたはずです。
でも、それは『はたから見た目だけ』です。
「あなたの、心の中は『その生活をどう思ってるの?』」
「そのまま、『人生終わっていいの?』」
そんな質問に、自分自身がどう答えるか・・・だと、思うのです。
「答えは決まってるけど、中々抜け出せないんだ…」と、思ってる方も居ると思います。
私も、長年ずっとそうでした。
もし、この私の答えが、ほんの少しでも役に立つのなら・・・
「『水面下』で起きている事に注力して、それを上手く『利用する』方法があります。」
そして、何より、あなたの瞼を閉じている時に見えるものが、
「できる限り、HAPPYなものでありますように。。。」
そうすると、その行く先は、
決して、想像通りではないかもしれませんが、
「『いい方に進んでいる』ことは確かなのです。」
ですが、『物事は、常に流動的で』
移り変わって行きます。
それは、どういうことかと言うと、
以前は、これで正解だと思ったが、
時が過ぎ二ヶ月後には、次のシチュエーション(場面)が訪れていて、
「以前の決定をも、『余儀なく変更させられる場合』も、起こり得る」ということなのです。
迷ったら、立ち止まって、『最良と最善を尽くす』為に、
また、「舵を取らなければならない」
(面舵いっぱい前進だったのにもかかわらず…です)
運命の方向性を決めているのは、他ならない
「船長のあなたで、そう、『船長は、私』一人でした。」
荒波に遭難しかかりながら、
荒波と大嵐の中をくぐり抜けて、私の船はなんとか、離島に辿り着いた・・・
「さぁ、また『新しい冒険』の始まりだ」
神様は言っている
「君の『好きな島に』
辿り着いたかい?」