『私のこと』[弟編1.]

私のこと

前回までは、『私について』というカテゴリーで色々と書かせてもらいました。随分と長く『私について』のカテゴリーで書かせていただきましたので、

『私のこと』というカテゴリーに新しく設けて、

私に実際に起きた事を書いて行こうと思います。

ですので、『私のこと』というカテゴリーでは、説明文ではない事実起きたノンフィクションであることをご了承ください。

今日は、ある日に起きた、私の実の弟との出来事を書きます。(丁度、Xでポストをした関連もあって)

実の弟

その時、私の弟は、私が自分達(弟と母)の思い通りに、

相続の放棄をしない事に苛立っていた。

弟は、私への細かい嫌がらせをし続けて来ていた、

駐車場で私の小さな軽自動車でも中々出られないように、

自分の自慢の高級車や改造車を縦に横にビッタリにと駐車したりした。

私は、低周波過敏症という聴力の病気に掛かった事があり、低周波の音には酷く過敏になり、眠れない時があると以前家族に漏らした事があって、

それを知っていた弟が、私の平屋(実家の敷地内の離れの家)の私のいつも寝ている寝室の、すぐ横の場所に車を停車し、

真夜中にアイドリングをずっと、時々ふかしたりしながらし続けたりした。

それは、弟自慢の改造車の車で、エンジンの音も改造してあり、ボボボボ…と、とても大きな低い音がアイドリングでも響き渡る車で、

低周波過敏症でなくても、深夜にすぐ寝室の木造の横で、ずっと鳴らされ続けたら嫌な音であり、

しかも私の場合は、それが弟の度重なる嫌がらせの続きである事が分かっていて、

私が低周波過敏症と知って、やっている事も分かっているので、

余計苦痛に耐えかねる思いがした。

何故なら、それを数日間ずっとやり続けていたからである。

今思うと、私を不眠症にしてやろうという魂胆もあったかもと思う、

私は、その時はもう既に、低周波過敏症は自身で治しており、それが治ったことは家族には話していなかったので、

ただ、弟の嫌がらせが続いている事にウンザリしながら、苦渋を飲んでいたところだった。

深夜で、警察に電話したところで、電話して待っている間に弟が何処かに出掛けてしまったら、

電話した私がただ騒ぎを起こした事になってしまうし、そういった事も計算しているようだったので、

私は、ただ布団の中に硬く、うずくまって、身体を丸めて耳を塞いだ。

そんな事が続いていたある日の事だった、

弟が車を駐めていた場所が、息子の帰って来る時間に重なっており、いつもはその場所が弟の駐車する場所ではないのに、駐まっていて、

息子が帰って来て入る時に、あたりそうで、もしかしたらギリギリ大丈夫かもしれないが、でも、もしあたったらえらい事だな・・・という駐め方がしてあった。

私は、自分自身が何か弟に言うとカドが立つと思い、母に頼んだ。

「◯◯(息子の名前)が帰って来るのに、車が邪魔になるから少しだけ動かしてくれるように言って欲しい」と、

母も見て、確認した上で弟に言いに行った。

この時、私だけが確認して「これは難しい」と判断したわけではなく、母も確認した上で伝えていたのだが、

弟は一歩も動かず、母屋のダイニングのテーブルにドカっと座り、休んでいたようだ。

私は息子が帰って来た時に、困ってしまう事が心配になり、もう一度、母に言ってもらうように頼んだ。

しかし、「入(はい)れるでいい」と言って、全く自分の車を動かしてはくれなかった、

私は、とうとう自分で言った、

「悪いけど車少し動かしてくれない?もうすぐ◯◯が帰って来る時に入れにくいから」

弟は、「入(はい)れるでいい」とまた言って、知らん顔をして一歩も動かない。

私は、「わざとそういう事するのやめて欲しいんだけど」と言った、

そうしたら、

弟は手に持っていたペットボトル500mlのまだ中身の水がたっぷりと入ったものを大男のバカ力の思いっきりで、私とは少しズレた家の壁に向かって投げつけるようなフリで、

わずかに、私のすぐ横よりその下にぶち当てるように投げつけた。

弟は元野球部でピッチャーを長年やっていた男である。

その当時は、120kgほどの体重のある巨漢であり、腕力があって、その衝撃は私にあたらなかったにせよ、壁下方に打撃した鈍く激しい太い音がこだまし、

投げつけたと思ったら、私の方にドスドスと足早に歩み寄って来て、

立っていた私の左肩を思い切り突き飛ばすように押したかと思うと、

私が少しよろめいて下にしゃがみそうになり、足で踏ん張り立ったやいなや、私の頭の幅15cmほどの距離から、思いっきり唾が吐きかかりながら、

「何がわざとなんだ!!誰がわざとなんだ!!おい!!言ってみろ!!何がわざとなんだ!!言ってみろーーーーーーー!!」

と、激しく何度も大声でわめき散らし、どしゃぶって言って来た。

私は、唾がかかるので少し顔を横に向けたが、その位置から後ろに退く事はしなかった。

少し安定するように足を踏み締めた。

弟はまだ続けた、

「お前は、この家から出て行け!!」「お前は家の光熱費を払え!!」等と言い怒鳴った。

私の住んでいる離れの家は、水道と電気が母屋に繋がっている為、光熱費は私は要らなかった。

その事を、母屋に住んでいて自分自身は家にお金を一度も入れた事もない弟が、捲し立てて言って来たのだ。

しかも、光熱費を払っているのは父である。(この頃、父がまだ入院中で存命しているのに、私に相続放棄しろとの話しが父が会長であり弟が代表取締役の父の会社の顧問税理士により、

話しが持ちかけられていた時である)

私は黙って聞いて、立っていた。

弟は更に「お前はあの◯◯の家の光熱費も払え!!」と言った。

◯◯(土地名)の家とは、私がかつて結婚した時に住んでいた家で、その時はもう既に空き家になっており、

電気も水道も全て私が止めたが、母が勝手にまた電気と水道を繋いでいた家の事で、その家の光熱費に関して、私は一切の責任を持ち兼ねない。

それなのに、そんな事を怒鳴り散らして言って来た。

私が、あまりにその弟の身体の距離が近かったので、右手の人差し指1本で軽く、弟の身体の一部に触れ後ろに押した、

本当に軽くである。

そうしたら、また捲し立てるように、

「お前は触るんじゃねえ!!」「お前は触ってんじゃねえ!!」と怒鳴り散らし、今度はもっと近寄って怒鳴って来た。

冒頭で、私が肩をどつかれた時に、「暴力かよ」と私がよろめく体勢を整えながら一言普通に静かに言っているが、その時に、

弟は、「こんなん暴力じゃねえ!!」「暴力に入るわけねえ!!」と言って来ていて、

私の人差し指1本の、軽く押しただけで、ここまで騒ぐのかと私は半ば呆れて立っていた。

その後、散々怒鳴り散らした後に一度、弟が元のダイニングに戻ったので、

私が終わったと思い、玄関で靴を履くと、

煙草に火をつけて吸いながらまた玄関の私の所まで来た弟が、

「お前は早よこの家を出てけよ」と言って、

玄関で立っていた私の顔にその煙草の煙をゆっくりと吹きかけて来たのだ。

実に顔先5cm程の距離で、

私はまだその時、突然患った、原因不明と病院で言われて中々治らずに3軒も病院を辿った、喘息の治療中であり、

わずかな事でも咳の発作が起きると、激しい嘔吐までしてしまうような状態で、自宅療養をしており、

無論、長年(その喘息は約3年半程続いて中々完治できず毎日吸引の薬等を飲んんでいる状態)患っている事を知っていた、家族である実の弟が、

それをやっているのである。

そして、もっと何かをどしゃぶって言おうとした弟に、見えない存在の何らかの忠告が入ったのだと思う。

その時私は、それを聴く余裕があまりなかったのだが、

弟に何かが向かう衝撃があった。衝撃と言っても目には見えない存在なので、何か激しく強い言霊のようなものだったと思う。

不思議な事にその一瞬で、弟は急に引き、またダイニングに戻って行った。

私は戻ったのを見届けると、

(やっと終わったか・・・)と思って、

母屋の玄関をまたいで、自身の離れの家の方に戻った。

息子は何回も切り返しながら、何とか入れた。

というのも、私がLINEで、弟の車があってとても家に入りにくい状態だから、気をつけて入れるようにと連絡しておいたからだ。

ギリギリ出来たけど、もし弟の車に傷をつけないとしたら、息子の車に擦った傷を付けてじゃないと入れなかっただろうと思うほど、

入れにくい状態だったのである。

私は、家に戻ると、弟の汚い唾がかかった私の髪の毛が気になって仕方がなかったので、思いっきり洗って煙のかかった顔も洗って、

とにかく綺麗にした。

そして、いつものように息子に夕食を作り食べさせた。息子は当時大きくなって離れの部屋では狭くなり、母屋の広い部屋を自分の部屋にしていたので、

ご飯を食べ終わると母屋に戻って行く。

そして、

その夜、眠る時に思い出し、

私は布団の中で、あまりの悔しさに嗚咽し、

1人で泣いたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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