神様の不思議『奇跡の魔法』

ツインレイ

誰にでも手に入れられるが、誰もが手にできないもの。

「神様って、不思議・・・」

今日、私はこんな言葉を一人で、つぶやいた。

 

これは、一見些細な事に思われるかもしれないが、

よく言われている、

引き寄せの論理にも繋がるような、

不思議な出来事の一端です。

でも、出来事はとても小さいです。

 

一端・・・ですが、

タイムラグもあったりしたので、(その出来事が突然にも思え)

「何故?・・・」

と、私は大袈裟ではなく、驚いた。

 

私には、大のお気に入りの浅漬けの素がある。

(こんな事を書くと、「え?浅漬けの素の話し?!興味なし!」

と、思われるかもしれない 笑)

 

ある日、その私の大のお気に入りの浅漬けの素は、

いつものスーパーから消えた。

 

そもそも、そのスーパーでしか見つけられたことはなかった。

他のスーパーでは、売ってない、

売っていたとしても、稀であった。

 

だけど、そのとあるスーパーには、常備と言っていい程、

必ずあった。

 

でも、ある日それはなくなっていた。

何日も探したけど、「無い…」

「ネットにも、無い…」

「何回も、他のスーパーでも探すも無い…」

「いつも探すけど、無い…」

もう無いのだ…。

私は、そう思った。

大好きな浅漬けの素であったが、

「いいだろう、私が今度、あれとそっくりの味を、

素を使わずに作りましょう・・・もう、そうするしかない」

 

そう思って、軽く決意した。

 

そして、それからどれくらい時間が経っただろう。

私は、もうその浅漬けの素は、あることすら忘れ、

探すこともやめて、すっかり諦めてしまっていた。

 

今日は朝から、「いつものあのスーパーへ行こう」と、思い立つ。

他の予定も、思い切ってこなそう!

そんな日だった。

 

どうしても、朝から、いえ昨日も、ちらちらと何回も、

あのスーパーが頭に浮かんで仕方がなかった。

今日、あのスーパーに行くぐらいなら、出来そう・・・と思った。

行く理由も重なっていた。

 

私は、スーパーの中をいつも通り歩いた。

全く、浅漬けのことはすっかり忘れてしまっていて、

本当に、全く意識もしない歩き方である。

 

そして・・・

目の前に広がった、

 

大量に置かれている、

その、

『私のずっと求めていた、浅漬けの素』。

 

「ええー?!」(こころの声)

「うそでしょ??・・・うそみたい…」(こころの声)

 

まるで、仕入れたてホヤホヤですよー

今日の目玉みたいなものですよー

でも、早いもの勝ちですよー

 

そんな感じだった。。。

 

私は買った。

ええ、そりゃ、いつもなら、一袋だけ買う所を、

まとめて4袋もカゴに突っ込みました。

「よし!これだけあれば、しばらく又この味を楽しめる!」

そう、充分に自分を満足させた。

 

そして、不思議に思った。

ネットでも存在が消えてしまっていた、

メーカーのHPにさえ、その存在がなく、

「もう、売ってないのか・・・」と、がっくし来てたものでさえ、

神様は、「どうだ」とばかりに

目の前に届けてくれるものだと、

私は思ったのだ。

 

ただ、もっと不思議に思ったのは、

その、絶妙なのかわからないけど、

 

『タイムラグ』だった・・・

 

喉から、手が出るほど欲しい時、

やっきになって、必死になって、

探している時、

無かったものが、

ちゃんと、こうして、

予想もしなかった時に、

現実に現れるものなのか・・・と。

 

何故、このような間があるのか、

間を空けるのか…

そんなことを、ふと考える

 

あるアイデアがある、→計画をする、→組織が動く、

→現実にそれは実行される、→現象化・・・。

 

そんな事を、私が頭の中で勝手に想像するが、

 

それだけでは、ない気がした。。。

 

私は、ここで(このブログで)時々、引き寄せの類いの話しをする。

私はそれを、引き寄せとは呼んでいないのは、

私には、それが、

『神様の粋なはからい』

に思えてならないのだ。

 

突然、神様の粋な計らいです!とここで書いても、

なんのこっちゃになってしまうので、

引き寄せみたいな、とか言葉を使っている。

 

まだ、今日は、もう一つ、

『大事な話をしたい』

 

私は、このブログで、超絶、節約生活をしていたことを、

最初の頃書いていました。

そして、その後、

神様からのギフトがあったことも・・・。

 

そして、私は思った。

 

『世の中には、お金では買えないものがある』

・・・

『どんなに大金があっても、幸せになれないのは、その為ではないか・・・』

そんなことも思う。

それは、人それぞれの価値にもよるけれど、

 

お金で、どれほど自由に欲しいものを買えたとしても、

決して、手に入れられないもの・・・

それは、『ある』。

 

 

私は、それは、

運命的な、もしくは、奇跡的な、

『奇跡の出会い』

だと、思う。

 

出会いのシチュエーションは何でもいい、

媒体もなんでもいい、

 

『これが運命』と感じるのは、その人それぞれである。

ですが、

私は、『奇跡の出会い』は、

『神様が(もしくは高次の存在が)、出逢わせる、出会い』

と言うのが、

わかり易いと思ってる。

 

この出会いを、沢山のお金があれば、引き寄せられるとは

思えない。

沢山のお金があるからと言って、

神様に、気に入られる人になるとは限らない。

 

つまり、

神様が用意した

『奇跡の出逢い』=『プライスレス』

 

出会い方は、千差万別、

性別、国境、人種、年齢、立場、身分・・・

なにもかもを超える、

 

『神様が引き起こしてくれる、

魔法である』

 

『奇跡の出逢い』=『奇跡の魔法』だ。

 

神様を信じる信じないとか、そんなことに関係なく、

『奇跡の魔法』なら、かかってみたいと

恐らく、誰もが思うだろうと、私は思う。

 

何故なら、それは・・・

 

あなたの願いを叶える、

奇跡的な、

現実に起こる、魔法なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

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