美しい光とは・・・
今日もツインレイに関係することを、書きたいと思います。
すみません、プロフィール、何も書いてなくて…
私は、『運命の人』によく出会って来た。
衝撃的な出会いの場面もあったし、
俗に言う『偽ツインレイ』もありました…。偽なんて言ったら、その時の彼が可哀想ですが…
そう、説明させてください。
ソウルメイトもありました。
ツインフレーム、ツインレイ・・・様々な呼び名がありますね、
私は、ずっと、
『運命の人』であり、『魂の伴侶』を探していた。
ツインレイという呼び名は、探し始めてから随分経ってから知りました。
それまでは、魂の双子、とか魂の伴侶とか言われていました。
なので、私は、そういう呼称にしていました。
私は、一度結婚もして、子供も産んで、離婚もして、
シングルマザーをしています。
ここからは、賛否両論説になりますが、
私は、不倫をしません。
これは、私が私自身で決めたことです。もうずっと前の、とても若い頃に。
だから、シングルマザーになってからは、年下の人しか付き合ったことがない、
通常で出会う同年代の人が、ほぼ妻帯者だったから。
運命の人とまでいかないのだけれど、付き合った人も居ます。
ある日、最初の、衝撃的な出会いがありました。
今から、およそ、10年程前のことです…
その人は、ツインフレームだったのかもしれませんが、
他の人ではあり得ないような、衝撃的な出会いの体験をしました。
私は、その彼をツインレイだとその時は思った。
ツインレイという言葉に当てはめたのは、少し後でしたが、
私の探していた『魂の伴侶』だと思った。
しかし、その後の覚醒体験や現象から、
『魂の伴侶』とは、『魂』だけの姿である場合もあるのかな・・・
などと、考えたりもしました。
そういう現象が、鮮明に起きたからです。
私がここで話したいのは、その彼のことではありません…
その彼の後に出逢った、『運命の赤い糸の人』のことでもありません…
ツインレイは、唯一無二と言われます。
ただ、巷では、トリプルレイとかそんな言葉までありました…(これも後で知りました)
人それぞれなので、なんとも言えませんが、
(また、こうだと断定出来るものでもないかもしれませんが…)
私が、そんな体験を経て、
今言えることを、
今日は、書きたいと思いました。
『神様は愛を試されます』が、
試されるのは、それだけではないようです。。。
『神様は、己の翳した信念を、試される』
そんな気がします。。。
『自分自身の誓いへの信念』
『自分に課した誓い』
『自分自身との約束』
私は、これを神様が見ているように、思いました。
これに関しましては、試されているというより、
見守られている。。。そんな感じもします。
「その誓いを、『自分で、守れるのかな。。。』」
守りなさい、というより、
心配に近い… そんな感じで… 有り難い。
先程の、
「私は、不倫はしない」
その時、そう決めて、
そして、長年、忠実に守った。(これはあくまで、私の場合はです)
私はずっと、悩んでいた…
「運命的な出会いはあるのに、何故うまくいかないのか…」
『出会いはある』だけど、その後の運命の流れは、
その人ではないと言って来る・・・
もう、何年も、何年も、ずっとだ…
そんな時、とうとう神様は私に、
『衝撃的な出会い』を授けた。
ですが、その、最初に出会ったツインレイと思った彼は、
既婚者でした。
だから、私は出会ったけれど、連絡先を聞かず、その後の『関係』を一切断った。
自分でもそんなことが、よく出来たな・・・と思うのは、
私だけの力で、それが出来たわけではなくて、
目には見えない存在の働きかけも大きくて、
『私は私自身への『誓い』を果たせた』のだと、
私は、そのことに、随分後に、気がついたのです。
あの時の、あれは、引き裂いたのではなかったのだ…と。
自分の意思だけではなく、偶然まで重なって、
それ以上、踏み込まずに済んだのです。
全く、後悔はしていません。
私が、ツインレイだからと、流れて、そこで溺れて、
たとえ、一緒になれたとして、
そのように生きていたら、現在、
『今の『運命の赤い糸の人』との出逢い』には、
恵まれていません。
私は、苦しかったけど、
7年程、その既婚者の彼のことを、想いはするが、
決して、踏み込んだり、連絡を取ることはせず、
想い続けただけだった、
ただ、ひたすらに『魂の伴侶』と信じて・・・
そして、7年後、
今度は、『運命の赤い糸の人』と私を確信させた『出逢い』が、
用意されていました。
それから、約3年経ちます。
私は、ずっと、あの時のことをリピート再生して考えてた。
最初の既婚者の人との出会いの時、
『なぜ?「あの時に急に雨が降って来たのか」』
『なぜ?「あの時に、私をあの場所から離したのか」』
神様は、なぜ…
『私を走らせたのか』…なぜ…あからさまなシンクロニシティまで起こしておいて、
出会わせておいて、引き離したのか・・・
ずっと、わからなかった。
そして、今、約10年後、
私の私自身への誓いを果たす為にも、そうされたのかもしれないと思ったのだ。
理由は、これだけではないと思っています。
もし、そこで大きな感情のうねりに溺れれば、
私は、私の自分自身が立てた誓いも守らずに居て、
自分自身に嘘をついた生き方になり、(自分自身と約束をしているので)
それは、
その彼を愛していても、自分自身に嘘は決してつけないので、
「その誓いを破ったこと」は、
心のどこかで、私が私をどう思ったりして、納めたのだろう…?
確かに、もう随分と『運命的な出会い』を待って、
やっと、出会って、
『進みたくないわけはない・・・』
その時は、そんな流れが、
「とても悲しかった」。
誓いと、偶然の導きが重なって、
出会ったけれど、それ以上踏み込まなかった、
踏み込まずに済んだことは、
今は、心から『感謝してる』
「神様は、私に、私自身が誓った約束を守らせてくれたのだ・・・」
それは、私と神様との約束でもあった。
私は、その出会いから、7年後、
『運命の赤い糸の人』と出逢ってた。
私は、その彼のこともツインレイとは呼ばずに、
最初は、私が私の人生で初めて出逢った、
『運命の赤い糸の人』と呼称した。
そういう、私の人生で初めての現象が起きたからだ。
その赤い糸の人は、既婚者ではなかった。
ただ、よく言われる『ツインレイにある障害』(既婚者以外の)というのは、
盛り沢山と言っていいほど、ある。。。
やがて、段々に、この赤い糸の人のことを、
ツインレイと言ってもいいのかもしれない…
そう、思うようになった。
最初の人とは違って、ツインレイかどうか…というのは、
出逢った頃、超えちゃってたから・・・
出逢えたことは、『奇跡』だと思ってた。
シンプルに。
ただ、ツインレイの現象と言われるものは、全て起こっていた、
もう既に出逢ってすぐ、当たり前の様に起こってた、
そんな感じだった。
これまでの人生で、
私は、神様に約束をすると、
必ず守った。
「神様、わかりました、私はこの件についてよく理解し、
そして、こう決めます、『〜は、しません』」など…。
誓いを立てるとは、自分自身で誓うことでもあるけれど、
私の場合は、それと同時に、いつも神様にも誓ってた。
だからきっと、『守れた』のだと思う。
神様も『守れる』様に、サポートをしてくださってたのだということが、
今はよくわかって来た。
自分への誓いを守れなかったら、
泣いてしまうのは、
「きっと、私だ」
神様はきっと・・・
私に、
一点の曇りも無い、
心と魂からの笑顔で、
笑っていてほしいのだ。
どうしても・・・