良いことがある時ほど神様は予告しない。
どうしてだろう・・・?
私の人生に、次にとても良いことがあることを、
「神様は教えないのだ」。。。
もちろんそれは、先に分かっていることが、
後で起きたところで、喜びは半減以下だからだ。
人によっては、全く喜ばない場合もあるだろう・・・
何故なら、前もって「こうなる」と知っているからだ。
悪い事が起こる時は、事前に注意出来て、
危険を回避したり、また、被害にも遭わなくて済む事になりますが、
良いことを前もって知っていたら、どうでしょう?
もちろん、何の前触れもない予期せぬ災難に遭う事だってありますが…。
「神様は我が子の喜びが半減以下、もしくは消滅する事に、興味など無い」
予期せぬ災難や悪い事は、おおよそ良心的な人柄の方に
降り注いだ場合、『佳きことの前段階』である。(神様のスケールはもっと計り知れないけれど)
一言で納めて言うのはおこがましいが、
心機一転、や変化の兆しである。
そもそも、渦中の最中に、
「佳きことの変化の前触れである」等と、言っている余裕もない、
「何故こんな事が・・・」とか、「どうしてこんな目に・・・」とか、
あるいは、絶望に打ちひしがれる…
人それぞれになるけれど…。
話しを本題に戻すと、以前にもこのブログ内で、
面白くない分かってしまっているゲームは、二度と、もう一度やりたい!と思わないのでは?
という話しをしていましたが、
今回は、その話しにも通じています。
あなたの喜びは、目の前にあるが、
あたりの景色は相変わらず暗く、あなたの思考は、通常の今までと同様の苦悩に満ちているとして、
その時に、
神様は、
「ほら、君の目の前には、もうすぐこんなに良いことがあるんだよ」
等と、
いちいち(喜びが失くなってしまうような事を)言わないのだ。
だから、その時は、
とても苦しかったりするものだから、
人は、「誰も助けてくれない」とか、
思うのかもしれない・・・(これも人によるけれど)
実は私は、苦しい時や、悲しい時は、
のたうちまわる…。
大号泣(一人で)もするし、
時には、絶望感に打ちひしがれている…
「大丈夫です。」
本当に困難に差し掛かった時には、神様は助け舟を出してくれます。(このお話しは又の機会に詳しく書こうと思っています)
その助け船は、
「その後の困難を乗り越える『マスターキー』なのです」
その、『マスターキー』を信じれば、
その後に起こる全ての困難に打ち勝って、
やがて、新しい、まるで違うパラレルワールドに辿り着いたかのような、
『新展開』が待っているでしょう。。。
少し、時間が掛かってしまう場合もあるけれど、
神様は、あなたにとっての「大きな喜び」の前に、
「こんなことが起きますよ」と、具体的に話すことは、
決して、ないでしょう・・・
もし、あなたがサンタクロースで、
子供の、かつての念願のおもちゃを渡す前日に、
「あ、君の欲しがってたあれね、明日、枕元にあるよ」と、
言って、
子供の明日の朝の喜びを半減させるだろうか?・・・
もし、子供の泣いて喜ぶ顔が見れたなら、
あなたも、子供も、
心から、果てしなく嬉しくなるのではないでしょうか。。。
『神様の気遣い』