競い合う所が違うということ

人生

何に誇りを持っているのか

先日、Twitter(X)に、こんなことを書いた。

子供はお金で競い合うことはないんだなぁ。。。

と、公園に居て思った話し…。

ふと見ると、子供達はキャッチボールをしたり、走ったり、

興味の対象が全く違う事に気が付く、

当たり前のことなのだけれど、

何故、大人になったからって、

お金ばかりのことを考えるようになっちゃうのかな…って

それは生活の為に、子供の為にも当たり前なんだけど…。

子供は自分たちで生活費を稼ぐわけではないから、

もちろんお金のことは考えなくていいわけで、

でも、それなりに子供達も学校やこうして公園でも、

誰がキャッチボールが上手いか、とか、

誰と走りあって、自分の方が早く走れるとか思って、

子供達なりの競い合いはあるのだな。。。と

でも、その方が、お金をよりどちらが沢山持っているかを競うより、

健全なのだと思ったわけです。

これは、自分に対して言っています。

お金に対しては、もっともっとを求めてしまうのかな…って。

自分が幸せになるのに、何がどれほど必要か、

どんな自分であれば、ほんとうの幸せを感じられることが

できるのか。。。

そんなことが、気になります。

せっかくの、一度きりの人生ですから。

そんなことを思った日から、数ヶ月後に、

私は、ある結論に辿り着いた。

『何に誇りを持つかは、人それぞれ』

「あなたは、何に誇り、つまりはプライドを持っていますか?」

人が自慢をする所は、それぞれです。

見栄を何に対して張るのかとか、

そもそも、そんなものないよって方もおられるかもしれない

もし、その価値観が、例えばですね

人から見られる外見だけだったりした場合、

上には上が居る者で、

自分より外見が上だと、他人から見える人が現れては、負けただとか

思わなければならなくなってしまうでしょう、毎回。

それは、そんな事をいちいち気にしてない人や、

他の面で誇りを持っている人達から見たら、

どうでもいい話しだと、思う。人それぞれで、

私は、自分でも外見を気にしないわけではない、

もっと綺麗に居たいと思うし、スタイルも良くありたい。

ですが、それだけじゃない。

それが何よりのメインじゃなくて、

私が誇りを持つ所は、

生きる感性だったり、自分自身の魂の生き方であったり、

何より、精神性であったりする。

ここで言う精神性とは、つまりは『優しさ』のことです。

どれだけ、『人の気持ちを思いやれるか』を、

とても重要と考えます。

そこに誇りを持っているということは、

そこに自信を持つ、ということであって、

「そういうことはどうでもいい」等と言う人達を、

相手にしていない、ということなのです。

そして、私が今思うのは、

そこで競っている人間だからこそ、

人の優しさや思いやりに敏感に生き、

そんな事は、へとも思わない人達には、憤りを覚え、

人生に立ち向かって行きながら、色んなことを学んで、

さらに、より人生に大事なことを吸収しながら生きて行っています。

つまりは『自己成長』を重要視しているのですね。

もし、

老いて、干からびて、火葬され、

そこから、魂が浮き上がるだけだとしたら、

そこにあるのは、

『輝きを増した魂だけ』

その真の姿が美しくありたいと、

私は、

そう思うわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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