中の人間が大事

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乗っている人間の中身

私がまだ、18歳の頃、

知り合った2つ上位の青年がいて、

私はその頃、高校を卒業しまだ学生ではあったが、

親元を離れて一人暮らしをし始めていて、

車の免許を取れる年齢であったが、そんな余裕もなく、

憧れていた普通免許を取りに行く事もままならずに、

「早く私も車がほしいなぁ〜」

と、4、5人で歩いている時に、ぽつりと漏らした時のことだった。

その、はっしー君という青年は、

まだ知り合って間もなく、

会ったのも2回目ぐらいだったと思うが、

「○○〜(と、私の名前を呼び)

大事なのは、乗っている車じゃない

その車に乗っている、中のお前なんだよ」と微笑みながら、

優しく悟すように言った。

私は、普通のことを言っただけだと思ったので、

少しキョトンとなっていると、

はっしー君は、またニコッと笑って、

無邪気な様相で、

「だから、お前はそのままでいいって、言ったんだよ」と言った。

私の幼い発言は、恥ずかしかったのだろうか…と、

後々、私は考えた事もあったのだけれど、

この一言だけは、その後何十年と経っても、

私の記憶に残り、

何かある度に、

ふとそう言えば、

あの時、はっしー君はそんなことを言ってたな…

大事なことだな。と、

何度も繰り返して思い出しては、大事にしようと思うのです。

その後は、はっしー君にはもう2度と会う機会もなくなってしまったので、

まるで、通りすがりの一コマの様な出来事なのですが、

恐らくは今後も、

一生、私はこの時のことを思い出すと思う。

 

私がこの言葉を何度も思い出すのは、

例えば、お金がない時に、たとえ車がボロの軽自動車であっても、

また、お金がない時に、プチプラの服を同じ着回しをしていても、

『私の中身が大事だよね』と自分に言って、

そのプライドだけは保つようにしていると、

変に人間関係も肩肘張らずに、また馬鹿にされる時も

もちろんあったけど、

そういう時は、

『あ、この人はそういう人なんだな…』と、

すぐ気づけるようになったものです。

この前話したことみたいに、変な見栄を張る必要ってないと思うけど、

そういう、自分の良い所にプライドを持つって大事だと思ってて、

『ボロは着てても心は錦』を、意識して生きて来ました。

少々バカにされたり、悔しい思いはあっても、

それは忘れないようにしよう。。。と

この前にもチラリと、最近車を買ったことを話しましたが、

まだ買ったばかりのある日、出掛ける用事の前に、

私はついいつもの癖で、

自分の身なりをもの凄くきちんと(出来る範囲で)、

一生懸命整えようとしている自分が居て、

そして、ふと

「あ、もうそんなにまでしなくてよくなったんだ・・・」と思った時に、

そっか、あまり意識してないつもりだったけど、

ボロは着てても心は錦、ちゃんと出来てたのかもな。。。と思って、そんな自分に対して

自分を褒めてあげたいような、少し自分に自信を持てたのです。

何回も言っていますが、昨年のギリギリ生活で、

昨年は車はなくて、ほぼ歩きだったのですが、

新しい車に乗る前に、少々ボロボロの軽自動車に乗っておりまして、

ちょっと気合い入ってたみたいなんですよね(笑)

ボロボロの軽自動車に乗ってても、降りて来たら、

身なりのきちんとした女性だったならいい、と

そう、思っていたのです。

そういう時に、優しくしてくれる人が優しい人なんじゃないかって、

そんなことも思っていました。

今はじゃあ車に乗る時に、一気に楽な格好してるかと言ったら、

それはそうではなくて、

大事な車に乗る瞬間を大事にしています。

私の綺麗なコックピットに触れる時、

私も出来る限りは、綺麗でいたいと思って。

 

 

 

 

 

 

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