なぜ『夢』なのか

夢について

先回、『目標ではなくて夢』という記事を書きました。

私のこれまでの経験では、ぼんやりとでも「夢だなぁ・・・」くらいに思っていた方が、

『嬉しい』と思うことに、結局なることが多かったです。

故に、それは後悔も少ないことかと…

もちろん『目標達成』も達成感と喜びに通じています。

ですが、私は、『目標ではなくて夢』の記事でも書いたように、

努力が伴うと、『夢だわぁ』と、ほんわかした気持ちでいられなくなってしまうのです。

 

前に『楽しみについて』の記事で、カフェを経営していたことがあると書きましたが、

それは夢を叶えたように思われるかもしれませんが、違うんです。

私の場合は、「やらざるを得ない状況になってしまった。」

 

ほぼ、選択肢はなかったのです。(私の人生の場合、よくこうなります)

 

カフェをやりたかったわけではなかったが、流れでやらなければならないことになり、

カフェをするより他なかった…。

そんな感じでスタートしたのです。

 

楽しみについて』の記事でも、お話ししたのですが、

「やらなければならないから」「やった」、

というものだったのです。

だから苦しかったのでは?と、記事を読まれた方なら、お察しがつくかと思いますが、

ほんとうにその通りで、

「やるからには、全力で、真剣に、120%の力を出し切ろう!」と、

 

本当に凄く、努力も体力も、精神力も、使いました。

一軒のカフェをやるにしても、1から一人では、とても大変でした。

でも、そうやらざるを得ない状況になってしまい、

 

飲食をやる気のなかった私が、一人、孤軍奮闘していたというわけです。

真冬の真夜中に、ライトだけ照らしながら、壁の珪藻土を、毎夜一人で塗っていたのを、

よく思い出します。

 

結局、そのカフェは、私の体調不良で、しばらく経営してから開けられなくなってしまい、

クローズしました。

お金ももったいない話しですが、仕方がありません。

私は、この経験から、いくらやる気になったとはいえ、

ほんのわずかでも、

気持ちが、やらなくてはならないから、仕方なく…というのがあって、

何か目標を掲げて、闇雲に努力を始めたりすることに、

 

時間と体力を、やたらと消耗するのを、感じます。

 

もし、何かに奮闘するのであれば、

1%も、自身の犠牲ではなく、

『心からの夢を叶える為に』やってほしい。

そんなふうに思います。

 

私自身にも、いつも思っています。

「それは、ほんとうに心から望んでいることなの?」って。

 

思えば、私の人生って、後悔とは違うのですが、

誰かの意見や考えに、流されることも多かったり、

その場の状況で、やらねばならなくなったり、

 

もちろんそれが、同意の上であったとしても、だから相手や誰かのせいには出来ないのですが、

その事で、『自分の人生を生きられなくなってしまった』ことが、

多くありました。

 

もちろん、その度に、軌道変換しました。

軌道修正していかなければならない時、人生はとても大変です。

関わっている、他の人の人生に、影響も出てしまいます。

 

そんな経験を数々している内に、

切に、『自分のほんとうの夢を叶えたい』と、思うようになりました。

 

「ほんとうの夢ってなんだろう?」って、よく考えていました。

 

でも、今ならわかります。

人生を生きていると、心の奥からほんわか出て来たり、

そんなに強く望まなくても、

イメージが湧くだけで、ほくほくと幸せになって仕方がないような。。。

 

それもまた、大きな喜びになる『夢のひとつ』って。

 

 

 

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