なるべく、ブログの更新頻度を上げて行きたいので、
今日も何か書きますね、
私が私については、あまり書かないのには、様々な理由があるのですが、
『私についての話しを聞いて、皆様が面白いかな?』
あまり興味ないかも・・・そんな理由が強かったです。
それよりも、私が人生経験を踏んで言える、アドバイス的なことをお書きして、
偶然にも、一読したことで、
ほんの一助になれたらいいな、幸いだなと思う気持ちで、
こちらの、WordPressのブログは書いて来ています。
本当は自分のことを書く方が容易いのですが…
全く無名の私が、わたくしごとばかり書いても・・・と、
その不思議体験についても、
時代が追いついてないのもあって、あまり書いていないです。
これも、
本当のことを言うと、不思議体験について書く方が容易い。
私には、あまり現実的目線、というのがなくて、
どちらかと言えば、というか、勿論
目には見えない世界のことを書く方が楽です。
ただ、私の書く目には見えない世界は、少々ぶっ飛んでいる可能性があるので、
結構、控えて来てしまっています。
ただ、少し前に、YouTubeを覗いていて、時代が結構追いついて来てるな・・・と、
スピリチュアル系の視聴回数を見ていて思いました。
なので、また少しずつ、私の目には見えない世界のことも、
書いて行けたらと思います。
以前やっていたブログでは書くことも多かったのですが、
需要と供給が成り立ってないかな、とその時に思ったので。
今日は、また昨日の続きみたいなことで、
『私について』のカテゴリーで書いて行こうと、
思います。
先日、母方の祖母の話しをしたのですが、
小さい頃の私は霊感が強かったようでした、
それを祖母が見抜いたのか、
祖母の周りの信者さんが(祖母が霊観師だったので)
私がそうだ(祖母のように霊感あらたか)と周知していて、
そういう、霊の居る場所とかには小さい頃から「行ってはいけない」とよく、
言い聞かせられていました。
実際、なんとかスポットなんて、怖すぎて行けないです。
よく誤解されるのですが、私の今の透視とかは、霊能力とは少し違って、
超能力に近いですので、
霊能力とは違います。
なのに、本人の私が、それをわかってなくて、
お祓いみたいなことを、つい自然に困ってる人にやってしまい、
その夜、寒気とブルブルガタガタと震えが止まらなくなり、身体の全身が冷えに冷え、死ぬかと思い、
しばらく耐えていましたら、高熱へと変わり、
少しの間、その高熱で寝込み、
お祓い関係をやらない、と決めました。
私にも段階はあって、
今では、お祓いどころか、葬儀場ですら、穢れ(気枯れ)の原因になってしまい、
強い吐き気と身体のこわばりと、あまりの息苦しさで、
居ても立ってもいられない状態にまで、
なるようになってしまい、
葬儀場に入ることさえもが難しいですね。特に長時間とか。
霊感と、超能力は随分と実は違いがあって、
私は、超能力の方が、体調が楽になると思いますが、
それぞれの得意分野があり、
また私自身が、じゃあ霊感は全くないかと言われたら、そうではありませんので、
なんとも言えないのが正直なところ。
合う合わないがあるのと同じです。
1999年に覚醒して私は、最初はありとあらゆる見えるもの聞こえるものが変わりました。
(これ以降は、目には見えない世界に関しては、
いつものように《視えるもの》《聴こえるもの》と書いて行きます)
1999年のことに関しましては、こちらをご一読ください。
天使が視えたり、色んな声が聴こえました。
様々な不思議体験を重ねて行くのですが、
正直、最初の頃、「何これ?」って私本人が驚いて、調べてみたり、
どうやって納得していいか、わかりませんでしたね。
誰かに理解してもらいたいものの、話すと変な目で見られたり、
親戚の叔母に急にお祓いみたいな事されて、
驚いた事もあります。
天使とかが理解できなかったみたいで。
私も、仏陀の世界と神の世界、イエスキリストの世界と、私の言っている天界の世界を、
最初の頃の当初、説明できるような所には無く、
時間をかけてその違いや、また同時に、どう機能しているかを、知って行きました。
今は、すっきりと整理して理解しています。
そして、私について明確にお話しいたしますと、
私は、『天界の世界』の『魂の人間』ということになります。
どの辺りのことを、皆様がお知りになりたいのか、私に今、よくわかりませんので、
今日は、長くなってしまいますので、この辺で留めたいと思います。深い話しなので。
また、皆様にとって、「興味深いのでは」と思う、内容の観点に焦点を当てて、
お話ししていけたら、
より楽しいのではないかと
思います。
また私の覚醒中には、何回かの覚醒体験に分かれていた事は先回もお書きしたのですが、
その体験が、仏陀界のもの中心であったり、イエスの世界中心であったり、神の世界中心であったり、
天界の世界中心であったり、
世界を分けて展開されていたのです。
実に何年も何十年もかけて、
理解を噛み砕いて行った、ということです。