先回、私の幼い頃の様子はどうであったか少しお話しいたしましたので、
今日は、では今は、実際どんなことが私に出来るのかについて、
少しずつ、書いて行きたいと思います。
私は、最初は、クレアオーディエンスと言って、
普通の人が聴こえない聴力のある、
霊能者というよりは、超能力者でした。
この両方の違いについての説明は、少し難しいところがあります。
と言いますのは、
1999年の光の覚醒以降に私がこの違いについて、
明確に理解していたかと言ったらそうではありませんでした。(説明を受けるわけではないので)
霊能力と呼ばれるジャンルにも入っている聴力もあり、
私は、6才の時に既に他界している祖母と、会話が時には出来ていましたので、
それは、中学生の時に始まり、
ずっとなかったりしたのですが、時にふれは、あり、
更には、
覚醒して、何回目かの覚醒の時には、はっきりと会話できる日が訪れました。
《私が察するにそれは、祖母の冥界での努力もあったと思います。》
これも、説明は細かくするには長文になってしまいますが、
シンプルには、あの世に行っても段階はあり、『それによって出来る事が違ってくる』と覚えていただければ、
と思います。
何回目かの覚醒の時からのことで、
初めから、祖母とそんなに会話できるようになっていたわけではありませんでした。
私には、祖母が母に残した、古くからの観音様の像(小ぶりの)があって、
その前に座って、般若心経を唱え、静かに座っていたり、なんとなく思考で話しをしていると、
その時には、声が聴こえたりすることが多くありました。
その声で、涙することも多かったです。
やっぱり、話しの言葉が違うというか、目に見えない存在というのは、
『気づきの高まり』を促進していますので、
そのような言葉は、言霊でもあり、美しく響き胸に刺さるものです。
「ハッとしたり」「涙が溢れたり」
「腑に落ちたり」
簡単に言えば、そんな言霊の言葉達ですね。
話しは元に戻るのですが、
1999年光の覚醒直後は、
突然その視界も聴界も変わり、一面に変化が訪れましたが、
時間が経って、聴力の方《クレアオーディエンス》が高くなりました。
もしかしたら、今思うと、なのですが、
視えることに、ほんのわずかな恐怖があったのではないかと思います。
最初は、良いものばかりが視えていたのですが、
時に、心霊と呼ばれるものまで視えてしまい、
私には怖かったのです。
その後も、
ありとあらゆる不思議な体験が、私の身に降りかかって来るのですが、
自分自身でもそれを、どう解釈し、更に理解していったらいいか解らずに、
調べたり、頭の中で、時間をかけて、次第に整理できたりする事が多かったです。
それから、クレアオーディエンスの力が強くなった私は、
どんどんと聴こえるようになって行きました。
結局、今から10年程前には、
その量は、普通に毎秒のレベルに達することになったのです。
周りに多く目には見えない存在達が居るので、
あちこちから話しかけられるといった感じになりました。
最初は、驚き戸惑い、「まさか」と思うのですが、
信じない信じられない…と、
何度聴こえた声を否定し、首を横に振って、無視しようと、
頭から否定しようと、
そんな時は、あからさまな映像で視えてきて、(正確には視せられているのですが)
『ちゃんと居ますよ』
『話してますよ』
『言いましたよ』
と、
何度も何度も、繰り返されました。
信じるよりほか無かったですね。
それから、私は、そういった目には見えない存在達と、日常的にそばに居て、
普通に会話しているのが、当たり前になりました。
かといってそれを、他の人間に会った時に、
私って、そうなの、と
打ち明けたり、話したり、説明したりすることは
ありませんでした。
「多分、言っても信じないし、信じてもらえない、自分だってそうだったんだから、それに、
説明も長くなるし、難しいよ」
そんなことを、普通の人間の人とお茶しながら、会話しながら、思っていましたね。
そして、目には見えない存在達だけの声ではなく、
以前より、多少は聴こえて捉えていた、人間の思考の声までも、
どんどん段階を踏んで、明確により多く、はっきりと、
聴こえるようになって行きました。
今日は、ここまでにしたいと思います。
今後、【悪魔退治】をして行った事や、
【悪魔】などの事について、
私の少しぶっ飛んだ体験を話して行く機会も、このブログで設けようと思っています。
話しが継続的ではなく、少しあちこちに飛ぶ傾向にありますが、
タイトルで何の話しが中心か、わかるようにして行こうと思います。
それでは、また。
あなたの未来にたくさんの幸せが訪れますように。。。