『私について』「私の知ったある一人の成功者1」

私について

ブログの更新頻度を少しでも上げたいので、今日もブログを更新して行きます。

広告も付けていない、アフィリエイトしないのに、何故ブログの頻度を上げるのか…?と、

不思議に思われるかもしれませんが、

そこは、なんとなくですので、私の生きてる時間もあるし、

書いて行こうと思いました。

元々書くことが好きなので。(それやろうみたいな感じ)

『私について』のカテゴリーで、続きのような感じで書いて行こうと思います。

 

先回にもお話ししていましたように、

私は苦節25年のような人生を送っておりまして、

成功者とは全く言えない、一般の人でした。

生まれた場所も田舎で、田舎生まれの田舎育ち、

海外に留学したいと言っても、どこどこの大学に行きたいと言っても、

全て親に反対され、まだ未成年であった私にはお金もなく、

断念して来たことばかりでした。(親がお金持っていても出さないと言われるので)

私の小さい頃からの家庭環境については少しこちらで話しています

シングルマザーになってからは、

その頃、インターネットが始まったばかりだったのですが、

ブログをコツコツと書いていても、全くお呼びはかからずw

その頃まだ全然、YouTubeとかはなかったですね、

Googleさんは検索エンジンを始めたばかりでした。

 

そんな私がある日、1999年の光の覚醒体験から、随分と経っていましたが、

今から丁度5年ほど前に、

ある1人の有名人であり、成功者と世間で呼ばれている人と、

SNSを介して知り合いになりました。

 

知り合いといっても、恋愛感情にポッと火がついたような

そんな感じでしたね。

ですが、その時は2ヶ月もすると、有耶無耶にされ、

単なる一般人である私は、物足りなかったのか、

その人は、有名モデルなどの名前を自身のSNSで列挙したりして、

私にわざわざそれを、見せつけるようになりました。

 

その5年前頃の私は、

田舎の実家から、事情があって離れたくても、中々遠く離れられずにいました。

私の人生は、私が一人暮らしをしていても、連れ戻された19歳の頃や、

シングルマザーになった私が、建てた家のローンを背負わされてしまい(元夫に)

下の土地が、実家のものでもあった為、その土地にも縛られていました。

そんな経緯が続き、

それから、もうローンとかそういうのはなかったのですが、

お金はあまりなく、突然に患った酷い喘息が3年かけてやっと完治したところで、

その田舎の実家の離れの家でしばし、

私は休息の時間を取っていたという感じでした。

 

その5年前頃、

その某有名人、(成功者であり著名人、テレビにも出てた人です)

が、そのような感じになって、もう嫌だったので、わずか2、3ヶ月くらいでしたが、

その時のSNSのアカウントを閉じ、メールも最後のメールを送って終わりにしました。

 

田舎では、近くに有名人はいませんので、そのような人達に会えることはなく、

また私は、

有名人に会いに行くようなタイプでもなく、もっぱらCDや本などで好きでいることがずっとでした。

 

故に、人生で初めて、『成功者と呼ばれるような人に、SNSだけども、会ったと言っていい出来事でした』

 

私は、自分の人生の中で、

ふと、

「成功者ってなんだろう?」って考えることが多かった。

 

1999年に、そんな誰にもに起こるわけのない光の覚醒体験をして来てから、何度も覚醒体験を経ていて、

目には見えない世界を、誰よりも熟知してる自負があり、文章も書けるし、

数々の不思議体験があるにもかかわらず、

有名になるわけでも成功者になるわけでもなかった、

まぁ、SNSマーケティングを自分でやるのが下手だったと言われればそれまでですが、

 

私は、その人に出会ったSNSを閉じ(正確には、たった1つだけ新しく作ったアカウントを残して、あまり更新もせず放置しました)

そして、その後どうなったかと言いますと、

何故かその後すぐに、

私は、家族とのリアルな現状が、

あまりにも大変な事になり、

2年あまり、

その件に掛かりっきりになる事となってしまっていました。

結局、解決したのは3年半後でした。

しかし、その大きな出来事があり、

私は、とうとう実家の土地を離れる事が出来、

引っ越して、

お金がなかったので、またSNSを使って、在宅ワークし始めて、

その時にまた新しいアカウントでTwitterを始めたら、

何故か、

また、その5年前に出会った成功者であり、有名人が、私のアカウントに介入して来るようになって、

今から、丁度3年前にまた再会したような感じになったのです。

そして、

私の中の「成功者ってなんだろう?」と長年ぼんやり考えていた私の質問に、

3年前にその人に出会って、経過した3年後に、

やっと答えが自分なりに出せました。

 

私は、成功者の方のご努力がすごいことはわかっています。

ただ、成功者にならなかったとしても、

並々ならぬ努力を、していらっしゃる方も沢山おみえになりますし、

更には、努力はしなくても、幸せに生活なさっていらっしゃる方もおみえになります。

私は、それぞれでいいと思います。

その出会いで、

有名人だからすごい、とか

成功者だからすごい、とか

私はあまりなかったほうなのですが、

わずかにあったそういうものまでもが、

私には、なくなりました。

特に、有名人だからすごいとか、人気があるからすごいとかは、

今はもう、全く思いません。

 

成功者の方のご努力は凄いと思っていますけど、

成功者=equal、人格者では無いし、成功者だから愛があるわけでも無い。

人格者だから、成功者になるというわけじゃなくて、

成功者であってもなくても、

人格者は人格者なのだ。

また、成功者だから愛があるわけでも決してなくて、

当たり前なんだけど、

そんなの関係ないってこと。

 

それを身に沁みて、確信したのが、

その著名人であり成功者で有名だった人とのSNSを介しての出会いだったのです。

ここで勘違いされたくはないのですが、

私が成功者になりたくないというわけではなく、

なりたいですし、それは、いいことです。

 

ただ、一般の人と成功者とに分けた時に、成功者だから、

信頼するに値するかは別だな…と、私は深く感じたのです。

とても、身に沁みました。

私が、3年前に再会したその人と、3年後、縁を切る時に、

何を思ったかと言いますと、

『神様達(目には見えない存在の者達)は、

成功者がいいわけじゃない、有名人がいいわけじゃない、

成功者と一緒に居るから幸せになれるわけじゃないって、

はっきり、教えてくれたんだな・・・』

と、しみじみ、納得出来ました。

 

私が出会ったその成功者は、少し独特だったかもしれませんが、

 

私はますます、自分自身が見栄や自慢から遠ざかる事が出来たと思った、

なんというか、

相手が誰であっても、何者であっても、

その本質の部分と、私は接したいと思う。

そのポジションやスタンスに居る自分を、

誇りに思うようになった。

 

今、私がその出会った成功者であり、

有名人であり著名人に言いたい事があるとすれば、

それは、

『あなたが何者であったとしても、そばに寄らないでくれ』

『あなたは自分が何者であるかをひけらかして優越に思っていたが、

それは、恥ずかしいことですよ。』

と。

口に出して、直接その人に言うことは今後もないけど、

その成功者であり有名人に、言いたいことがあるとするなら、そんな言葉になってしまう。

何故なら、その人は、

『あまりにも、酷い人だったからです。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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