あれは、
丁度、44歳の頃だった。
その日の夜は秋だった、と思う初秋の頃、
出会ったが既婚者であった為、
名前は聞いたがそれ以上
私は、ことわりを持つことはやめておいた。
悲しい思いを誰かにさせて、成り立つような恋愛は
所詮、幸せとはほど遠いからだ。
それから、でも、
その日のことが1日も忘れられることもないまま、
その瞬時を過ぎた時に、隣りで語らい合っただけの人を
もう7年も思い続けたわ
と、思った時だった。
私は、51歳になっていて、
これでは何も変わらないまま
一生が終わってしまうな…と思った。
こんなに近くに住んでいるのに
もう会うこともないまま過ごし、
何処かで期待することもやめたかった。
そのまま、お幸せに過ごしているのなら
それでいい。と思ったのだ。
こんなに、此処の家での生活が嫌なのに、
その土地を離れられないのも、この想いのせいなのかと思った。
何処かで、いつか
その紐が自然と繋がる時が来るのかもしれない…と、
何度も思ったからに、他ならないだろう。
私は、人生の中で一度も1人旅をした事が無く、
また1人で食事に出かける事も無く、
1人で行けるのは、高校生の時から、
喫茶店だけであった。
そう思った時に、
1人で一人旅を出来る自分になりたいと思った。
丁度、息子の大学受験の事や、色々あって、
私の実の父と母が、私の息子を自分達の養子にするなどと脅迫めいた事を
口ばみ、私は
自身の自活能力の無さに辟易していたのだ。
喘息が治った頃でもあったので、
私は息子と違う場所に住めるような自分の人生にしたかった。
そして、
そのお囃子のお祭りの時に出会って語らい合った彼を、
忘れてしまおうと思ったのだ。
運命の人は探していたが、
私は家に閉じこもってばかりで、
まるで鳥居の中の祠の中のようで
時々、何故か訪れる
実の両親の怒号にまだ怯えなければならなくて、
ずっと息を潜める思いだったから、
こんなに勇気のない生活じゃあいけないなぁと
1人で心で呟いていて。
もし、1人旅にでも行けば、何か見つける事が出来て、
また新しい生活が送れるのではないか…と、
随分と思案した。
ある日、目には視えない存在が、
いつでも出掛けられる準備をしろと言った、
車の中に当面着られる服を先に積んだ方がいいとか、
細かく旅行バッグに一通り詰めておきなさいとか、
色々言われた。
そうして私は、そんなある日に
今から出かけろと言われるのだ。
突然だったので、タイミングを見て息子には後でメールをした。
私に行く宛は無い。
お金はわずかながら、少しの一人旅ほどはあったが、
丁度その頃、少し前に、
実の母が、私が死んだ時に受け取れる保険に入っていて、
それを、半ば強引にサインを書かされていた事を思い出し、
私は、直接その郵便局の保険の証書を持ち、解約を申し出た。
そして、中に入っていたお金を受け取り、
1人で、息子と住める場所と、
私の働ける所を、
一人旅も兼ねて、探しに行ったのだ。
[続]